カテゴリ:2009,キカイデミルコト(2006-2013),プロジェクト

フィルム/ビデオの融合を手がけた安藤 紘平さん


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ビデオアートのパイオニアを訪ねるVCTのインタビューシリーズでは、映像作家の安藤 紘平さんにお話を伺いました。
テレビ放送局の機材を使ってビデオのフィードバック現象をフィルムで撮影するというハイブリッドな作品"Oh my mother"(1969)の制作秘話や、その後のハイビジョン作品を手がける経緯などを伺いました。

協力:早稲田大学文化推進部文化企画課


関連サイト:「キカイデミルコト-日本のビデオアートの先駆者たち-
「オー・マイ・マザー」(1969年)の真のコンセプト(Vital Signalsの上映後の安藤 紘平さんからのコメント) 

「オー・マイ・マザー」は、メディアとしては、電子映像とフィルムとのミックスです。映像のループを作ってフィードバックさせ、正帰還(ポジティブフィードバック)させると音で言うハウリングのような現象が起こり、電子が勝手に動き出すエレクトロフリーラン効果が生まれます。この現象が起こると、映像は勝手に動き出します。この効果を利用した映像です。

テーマは、作家である自分が母親を犯して再び母親の身体から生まれ変わり、また、母親を犯すという永遠のループです。フリーランするエレクトロンは、僕自身の精子でしょう。フリーランすることでループから抜け出るイメージを期待しますが抜け出られません。(寺山さんの家出のイメージの影響でしょうか) それと、ビデオというメディアがフィルムという母なるメディアを犯していくイメージを重層的に表現したかったのです。ですから、ビデオでしか表現できない「フィードバック・エレクトロフリーラン効果」と当時は、ビデオでは出来ず、フィルムでしか出来なかった逆転撮影(タイトル)を組み合わせ、あえて、マスターは、フィルムで仕上げました。(当時、VTRは難しかったからとコメントしましたが、本当は、母なるフィルムというイメージでした。)

映像の素材は、あえて3枚の写真です。母親の象徴としての小暮実千代の写真と、ドイツの有名なおかまの娼婦、髭をつけた男装の女の写真です。
タイトルでは、このおかまの娼婦の写真です。パッと見は母親のなりをしているが正体は男のアップの目が刳り抜かれてゆきます。このおかまこそ自分と母親の間に生まれた子であり、自分自身であり、ビデオメディアであるわけですが、目が刳り抜かれてゆくのは、ギリシャ神話のオイディプスの話から来ていて、「近親相姦したものの目は刳り抜かれなければならない」から由来します。タイトル終わりに髭をつけた女になるのは、僕の顔をした母親でも良いからです。その後の「ファミリーフィルムメーカー」は、萩原朔美君、榎本了壱君らと当時作った映像集団です。そして、小暮美千代の写真がエレクトロフリーラン効果で動き出すわけです。
 タイトルが本編に比して長いのは、あえて、エンディングでもあったからです。また、フィルムであることを(逆転撮影)強調したかったからです。

 自分の作品について、あれこれ言うのは往生際が悪いと思うのですが、41年ぶりに「日米初期ビデオアート」として今回上映されるにあたり、小生の処女作(童貞作というのでしょうか?)であり、その稚拙さもあって、あまり作品の真意が伝わっていないことから、恥を忍んでご説明した次第です。これで少しでもこの作品にとって幸福であればと思い、あえて、40年ぶりに意図を告白いたしました。