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「ソーシャル・マトリクス/ペーター・ヴァイベル回顧展を見て」瀧健太郎

「警察署」の看板の下に立つ男の写真。彼が手にしている紙に「は、嘘をつく」。

 写真の中でメッセージを持つ自身を撮影するというシンプルな手法で、権力を諧謔する作者のペーター・ヴァイベルは、60年代の半ばから言葉を使ったパフォーマンス、拡張映画、ハプニング、コンセプトアートや状況表現、閉回路のビデオ・インスタレーション、そしてコンピューターを使った作品を徹底した批判的な立場から表現し続けている。
彼はアルス・エレクトロニカのディレクターなど、メディアアートの展覧会、教育機関に関わりつつ、現在はZKM(メディア技術と芸術のためのセンター)の館長を務めている。 2004年3月に、60歳になった彼のレトロスペクティヴが大々的に行われ、ZKMでは「ペーター・ヴァイベル・フィルムナイト」と題して映像作品、またギャラリーでインスタレーションや写真作品など、長年紹介されなかった作品や、紛失したとされていた貴重な作品の数々を見ることができた。ヴァイベルの作品群は夜8時に始まり、それぞれ時代と部門ごとにセクションに別れており、ZKMの各部門のディレクターが各セクションの説明をして、作品上映が行われ、それは深夜にまで至った。
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 始めの「ウィーン実験映画派ーウィーン運動主義ー拡張映画」と題されたセレクションでは、彼がはじめて手掛けた映画を含めたウィーン実験映画派(クルト・クレン、ペーター・クーベルカ、ハンス・シェクル、エルンスト・シュミットJr.)とウィーン運動主義と呼ばれる運動のいくつかが上映された。67年から 76年までのそれらの作品は、主に16mmフィルムを使った拡張映画的な試みであった。技術的試行を実験的に、そして意識的に行うという組織された芸術運動の中で、ヴァイベルが映画と出会うこととなるのだ。

 続く「ビデオと言葉と真実 1967-1975」セクションでは上映で、ヴァイベルがビデオ作品に着手しはじめたことが分かる。 "Selbstbezeichnung"(自己を観ること)では、 ビデオカメラはガラスの向こうにいる作者を映しており、作者はモニターに映った自分を見ながら、体の前にあるガラスに自分の輪郭を描いてゆく。(モニターは画面には映っていない。) また"Spiegeltexte"(鏡文字)では、鏡越しに映した紙の上に半分だけ文字を半分だけ書くと、TOT(死)のように映りこんだ文字と共に言葉になる。Tritiatではフランチェスカの絵画と自分の顔を画面上で合成し、「人はそれ自体が詩である。」といった詩句を朗読する。自己とイメージと言葉を使い、一作品に一つのビデオの特性を盛り込んでゆく方法で、ビデオの自己言及的な内容と、作家の発話と行為によって成立する実験を行っている。

 「TV-マスメディアへの批判」では、ヴァイベルが1972年にオーストリアのORFテレビの番組をプロデュースし、テレビメディアの潜在的な革新性を提示している。「テレ・アクション」と呼ばれるシリーズは、実際にオンエアされたテレビ放送を利用した実験だ。ニュース・キャスターが葉巻をプカプカ吸いながらニュースを読んだり、ポラロイドとビデオカメラによってテレビの撮影クルーを撮影する試み、テレビを観ている人の後姿を映し出したテレビ、を観ている人の後姿、を映し出したテレビ、をまた観ている人の後姿…。一番奥の画面の中のTV視聴者が見ている画面がノイズになり、とたんに彼が映っていたモニターがノイズに。やれやれといったかんじで次の人が、テレビを消し、またそれを見ている人がテレビを消し・・・・画面の中に画面があるというフィードバックを利用した試みだが、その様子をスクリーンやモニターで見ている観客もその入れ子構造に関わっていることに気付かされる。ここではヴァイベルが制度やシステムを諧謔や言葉遊び、あるいは暴露という方法で、メディアによるメディアの露呈をしようとしていることがわかる。「ビデオと言葉と真実 1967- 1975」でのビデオカメラや言葉による実験から、その実験をマスメディアへの問題へと移行させ、社会問題へとシフトしていったのだ。 <その2へ>